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カンボジアの憲法記念日と3人の王様

Sen Vuthyさん、Sreysocheata Kuntheaさん、Sopheak Keanさんなどのメールを元に高橋がまとめました。

 9月24日はカンボジアの憲法記念日です。
 カンボジア憲法ではカンボジアの王位に着けるのはアン・ドゥオン王、ノロドム王、シソワット王の子孫だけと決められています。これらの3人の王様はシャムやベトナムの侵略に悩まされ、またイギリス、フランスなどの西側列強が植民地を広げる中で国を守るために大変苦労された王様です。
 アン・ドゥオン王という王様は、Vuthyさんによれば、スロック(郡)、コミュン(区)、プーム(村)などの地方制度を作った王様で、仏教を保護したり、裁判制度を整えたり、自身も詩人でカンボジア文化の保護にも力を尽くした王様だそうです。
 また、アン・ドゥオン王が整備した道路網がシソワット王の代などに整備されて現在の国道網の基礎になっているそうです。
 アン・ドゥオン王の後は、ノロドム王、シソワット王とアン・ドゥオン王の王子が王位を継承しましたが、フランスの植民地支配の時代でした。シャムやベトナムから国を守ること、またフランスの強大な軍事力の中でカンボジアが生きていくのは大変なことでした。
 ノロドム王の後継ぎについてはノロドム王の長男ユカントール王子がいたのですが、ユカントール王子は、パリまで出かけて行ってフランスの植民地支配に反対して抗議をしたために、フランスから睨まれていました。そこで、ノロドム王の弟のシソワット王が王位につくことになりました。
 シソワット王の後は、シソワット王の子供のモニヴォン王が王位につきますが、モニヴォン王が亡くなった後、ノロドム家とシソワット家の間で王位継承争いが起こりました。
 結局、フランス総督の裁定でノロドム・シハヌーク前国王陛下が王位に就きました。シハヌーク前国王陛下はノロドム王の孫のスラマリット殿下とモニヴォン王の子(シソワット王の孫)であるコサマック妃殿下の御子息であり、ノロドム家、シソワット家両方の血を引いているということが大きな理由であったようです。また、当時シハヌーク前国王陛下が若く、フランス総督としては扱いやすいという考えもあったのでしょう。しかしその後のシハヌーク前国王陛下の独立に向けた御活躍は有名です。
 1993年のカンボジア憲法制定にあたり、近代カンボジアの基礎を築いたアン・ドゥオン王、現代カンボジアの象徴であり、多くの国民の尊敬を集めていたシハヌーク前国王陛下が引いておられるノロドム王、シソワット王の3人の王様の子孫だけがカンボジアの王位に就くことができるということになったのでしょう。
 ジャヤヴァルマンZやスールヤヴァルマンUはアンコールトム、アンコールワットなどの素晴らしい建造物を残し、強いカンボジアの象徴として人気があります。周辺の国に攻められ、ヨーロッパ列強の植民地主義の中で必死にカンボジアとその文化を守ろうとした3人の王、そうしてフランスからの独立を勝ち取ったノロドム・シハヌーク前国王陛下、カンボジアの憲法記念日というのはそれらの歴代の国王の御苦労を思い出す日でもあるのかもしれません。

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