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チャン・リエチエ王の話

今回はSopheak Keanさんのメールを元にまとめました。
Sopheak Keanさんのお勧めはチャン・リエチエ王。コーンに殺されたソコンナボット王の弟です。
チャン・リエチエは、コーンによってソコンナボット王に対し謀反を企てているという噂を流され、シャムへ逃げていました。兄のソコンナボット王が殺され、コーンが王になると、コーンに対して復讐を誓いましたが、シャムの王様はなかなかそれを許しません。
チャン・リエチエは象を捕えることが上手で、シャムの王様に気に入られていました。そのころの戦は、馬や歩兵と共に象を使ったのです。王様は象に乗って戦いましたので、大きくて強い象を何よりも大事にしました。
チャン・リエチエは一計を案じます。東シャムに強くて大きい白象、象の王がいるという噂を流したのです。シャムの王様は白い象の王様が欲しくてたまりませんでした。そこで象を捕える名人であるチャン・リエチエが東シャムの白い象の王を捕えてシャムの王様に献上すると申し出たのです。
喜んだシャムの王様はチャン・リエチエに5000の兵とたくさんの食糧を与えて送りだしました。
白い象の王、大きく力強く、他の象を圧倒すると言われる象の王、その象に乗って戦うことはシャムの王様にとってもたまらない魅力でした。
しかしチャン・リエチエは東シャムからカンボジアに入り、シャムの兵を使ってコーンに戦を仕掛けました。戦は長期に渡りました。人々の暮らしを考えて休戦をした時期もありました。
しかし、人望に優れたチャン・リエチエの元には多くのカンボジア人が集まり、最終的にはチャン・リエチエが勝利を収め、カンボジア王となります。
そこで収まらないのがシャムの王様です。コーンに謀反の噂を流され逃げて来たチャン・リエチエを助け、白い象の王を捕まえるというので兵も貸し与えました。白い象の王の話が嘘だったのは明らかです。
怒ったシャムの王様は、チャン・リエチエ王に白い象の王を差し出すよう求めます。それが無理なら領土の一部を引き渡すように迫ったのです。
チャン・リエチエ王は拒否しました。怒ったシャムの王様はカンボジアに攻め込み、シャムとカンボジアの戦争になりました。
激しい戦争でした。しかし、チャン・リエチエ王はシャム軍を打ち破りました。激しい闘いでアンコールは荒れ果ててしまいました。たくさんのシャムの兵を殺したので、たくさんのシャム人が死んだ場所、シェムリアップという名前がついたそうです。
オクニャ・クレアン・ムアンの伝説なども生まれました。オクニャ・クレアン・ムアンはシャム軍と闘った将軍でしたが苦境に陥り、トアプ・クマオチ(幽霊軍)を呼ぶために、彼が槍を植えた井戸に身を投げたというのです。現れたトアプ・クマオチ(幽霊軍)の力で、シャム軍は病気になって撤退しました。その後、オクニャ・クレアン・ムアンはネアク・ター・クレアン・ムアンとして、カンボジアの守り神になったそうです。
チャン・リエチエ王(アンチャン一世)は2万の軍勢を率いてシャムに攻め込み、シャム北東部を占領しました。
アンコールの都が荒れ果てたため、ロンヴェークに都を移したチャン・リエチエ王ですが、アンコールの遺跡の修理をしたり、ワット・トロラエン・カエン(四面仏の寺)やワット・プレア・アイン・テープ・ニムット(インドラ神の寺)を建てさせたりしました。


カンボジアの歴史はおもしろいですね。これからも皆さんのメールを元に様々な人を紹介できればと思います。
Sopheak Kean、Pablo 高橋

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