The Mekong School of Japanese "Winds from the Mekong" Official Homepage(Cambodian Mekong University)
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いま、会いにいきます

 自然的に人間はだれでも愛があると言われている。でも愛の形は人やじょうきょうによって違う。例えば、両親と子供の愛、男の人と女の人の愛など別の形がある。生まれた赤ちゃんは、とても両親からの愛がほしいという気持ちを持っているとされている。
実は、愛というのはいい面も悪い面もあると思う。ある人は彼女がいるから、勉強などどんなことも忘れて愛ばかりを考え続ける。そうしたら、しあわせにならない。この場合は愛のえいきょうを受けたから。しかし、見た映画は例と違って、愛を大切にした。みおさんとたくみさんの愛は高校から始まったが、二人は力の限りにいろいろなことをした。たくみさんはみおさんが好きだから、みおさんに負けないで勉強もマラソンも努力した。更に、愛は人がゆうきがあるようにする。みおさんはおとなしい人だが、たくみさんのため、どんなこともすることができた。この映画を見たあと、一つの日本の信念が分かった。人形の頭を下に向かってかけたら、雨が降るという信念だ。
みおさんは二十八歳で死んでしまった。さびしいたくみさんと子供はこの信念が本当になってほしかった。雨が降ったら、死んだ奥さんが帰ると信じたから。この家族の心に「私のしあわせはあなたのとなりにいることなんだ」tぴう文章が深く存在していた。
リン・ポンローク

妻へ贈ったダイニングキッチン(プロジェクトX)

戦後、日本には住宅がほとんどなかったのである。住宅があることはあるが住むことができなかったのである。だから日本の政府は民族に同じ住宅を作り出してあげたのである。しかし、これらの住宅は同じだけでなくて、狭かったのである。台所から言って、とっても狭くて、あまりきれいじゃなかった。そのうえ暗くて、料理を作るおくさんは病気にかかりやすかった。どうしてダイニングキッチンという言葉が出て来ましたか。アメリカ人はダイニングルームは食事をするためのルームといういみだ。キッチンは台所といういみだ。アメリカ人は楽しく食事できた。日本人はその楽しいことを見て、自分でダイニングルームを作るかなあと思っていた。日本の住宅は狭いから、別にダイニングルームとキッチンを作ることができなかった。だから、ダイニングルームとキッチンはいっしょに使って、ダイニングキッチンという言葉が出てきた。普通、おくさんは狭くて暗い台所で一人で料理を作って、夫とか夫の友達とか家族とかと話すことができなかった。いつも一番最後に食事している。その理由、おくさんが料理を作りながら家族と会話できるようなダイニングキッチンを工夫した。日本の習慣によって、流しはいつも左側に置いてあります。しかし、浜口という名前の女の人は真ん中に流しを置きたいと言った。その時、強く反対されていた。だから、左側の流しと真ん中の流れで、同じ料理を作って、歩みとかかる時間はどう違うか研究した。研究の結果、かかった時間は二十三分で同じくらいだった。それに対して、歩みは非常に違った。真ん中の流しで、2歩だけ歩いた。お皿と野菜は左側と右側に置いたから。それから後、日本人は真ん中の流しをつかって、楽しく料理を作りながら家族と話せるようになった。
リン・ポンローク

翼はよみがえった YS-11(プロジェクトX)

 最初に、日本人は努力して、ひこうきが作られるようになりました。あとで、日本はアメリカとの戦争がありました。その時、戦争に負けたものだから、作ったひこうきが被害をされたり、ひこうきを作らせつづけなくなったりしました。だから、日本はひこうきが作られなくなって、外国からゆにゅうすることになりました。かれらはひこうきの代わり、やかんなどを作るようになりました。戦争の前、日本のひこうきは世界の広い空をとんだが、とんでいるひこうきは外国の製品だったです。戦後、日本はもう一度ひこうきが作られるようになりました、その時、YS−11というひこうきを作りました。日本人はだれでもうれしくて、笑うあまり、涙が流れました。
リン・ポンローク

謎のマスク 3億円犯人を追え(プロジェクトX)

 TOSHIBA会社はトラックで社員の給料を運んできた。その時にある所にばくだんがあるといううわさをけいかんが聞いた。だからけいかんはその所に行った。給料のトラックを世話するけいかんは普通より少なかった。給料を盗むきかいがあった。にせけいかんは給料の箱をとって行ってしまった。つかもとさんはけいかんで、子供の時からずっとまがったことが大嫌いな人だ。つかもとさんとチームはお金にあるしもんとか給料のトラックにあるしもんとかを調査した。それからつかもとさんとチームはしもんの特徴がよく分かるようになった。しかし、つかもとさんがしもんを研究している間に、妹はがんで亡くなってしまった。時間が経った。しもんの大きさは大きいから、日本人じゃなくて、外人だとつかもとさんが思った。調査しつづけて、犯人はフランス人だと思った。だから、つかもとさんはフランス大使館を通して、フランス人のしもんをもらったり、研究したりして、犯人を知るようになった。結局、犯人がメキシコでつかまった。
リン・ポンローク

世界の中心で愛をさけぶ

 サクさんとアキちゃんのことだ。サクさんとアキちゃんはいっしょに学校で勉強していた。アキちゃんはきれいであかるい女の子だ。はじめて、二人は友達として、バイクであちらこちらへ行った。ある日、店で新しいテープレコーダーが見られた。アキちゃんはこのテープレコーダーにきょうみを持っているようだとサクさんが思った。しかしサクさんは買うためのお金がなかった。自分のことについて手紙を書いて、ラジオ局に出すのは一番いい方法だった。ゆうしょうしたら、お金をもらう。サクさんは夜おそくまでラジオを聞いた。自分が書いた手紙はいつ読まれるか分からなかったから。だから、授業の間に、いつも眠っていた。ある日、その手紙が読まれた。サクさんは金をもらって、テープレコーダーを買った。でも、アキちゃんはうれしくないで、怒るようになった。サクさんが書いた手紙の内容は「サクさんは彼女がいる。彼女は白血病で亡くなってしまった」だ。その時から、二人は話したいことをろくおんして、互いに送った。ある日、二人は両親に教えないで人がいない島に行った。二人は心の中にあることを互いに教えた。あしたの朝、アキちゃんは理由が分からず、倒れてしまった。サクさんはすぐにアキちゃんの両親にアキちゃんを連れて行った。父さんはサクさんの顔をたたいた。サクさんは必死に車を追った。アキちゃんは白血病にかかった。それにもかかわらず、アキちゃんは何でもないふりをした。ある日、アキちゃんは同じ病気の人が死んだのを見た。アキちゃんはとてもむねをドキドキさせていた。アキちゃんの病気は一日から一日から少しずつひどくなっていた。アキちゃんが行きたい所は世界の中心だ。世界の中心はオーストラリアにある。サクさんは空港までアキちゃんを連れて行ったが、台風でオーストラリアに行けなくなってしまった。アキちゃんが死ぬまえに、テープに最後の話をろくおんして、いもうとにあげた。いもうとはサクさんにテープをあげたいけれども、途中で事故に会ってしまった。サクさんはこのテープを聞く時、滝のように涙を流した。
リン・ポンローク

The Mekong School of Japanese (Cambodian Mekong University)
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